人には名前がある

好きなことについて書きます。

「ラブライブ!サンシャイン!!」 胸に夢を溢れさせ、再び輝く太陽へ

ラブライブ!サンシャイン!!」の第1話が放送されてそろそろ1週間が経とうとしています。
最近なにかと話題のAbemaTVでは「何度振り返れば気が済むのだ本当に新作のアニメか?」と疑う程に再配信されていますね。

前作にあたる「ラブライブ!」には思い入れがあり

当然その後継作にもあたるサンシャインへの期待が募らないわけはありません。
リアルタイムでの感想はTwitter(id:gomyo)で適宜呟いていますが、ここにも書きとどめておきたいなと思います。


第1話で気になったのは、ことさら強調される「普通の少女」「太陽」の使われ方でした。

 

僕達は知っている 奇跡を起こしたのは普通の少女であることを

「普通の私の日常に、突然訪れた奇跡
 何かに夢中になりたくて
 何かに全力になりたくて
 脇目もふらずに走りたくて
 でも
 何をやっていいか分からなくて
 くすぶっていた私の全てを
 吹き飛ばし 舞い降りた!
 それが―」(第1話アバン)

と言う千歌のモノローグから本作が始まるように
彼女が如何に普通であるかを
千歌以外の主要キャラクターの魅力を紹介することで描いています。

国木田花丸は語尾に「~ずら」と特徴ある静岡弁を使い、黒澤ルビィは渡辺曜から「美少女」と評されています。
アップで映されるルビィの睫毛はとても分かりやすい美少女の符号ですね。
また、ルビィが極度の恥ずかしがり屋であるところも魅力であり弱点の1つとして機能しています。

そして畳み掛けるように登場する津島喜子というアクの強いキャラクター。
ヨハネというペルソナを被っていますが、コロコロと決まらない表情にどこか抜けた演技はとても印象的です。

3年生の面々は包括的に見ると、なにやら過去にスクールアイドル絡みで何か物語があったとうかがえます。
千歌の部活動立ち上げに否定的でありながらも、何が必要かは千歌よりも分かっている黒澤ダイヤ。
スクールアイドルの話題が出るやいなやすぐに話題を中断させる松浦果南。
2年間母校を離れている小原鞠莉。
OPのどこか険しい表情もこれから起こるであろうドラマを予感させてくれます。
もしかしたら、1度は3年生組でスクールアイドルとして活動しようとした可能性も考えられます。

千歌の友人である渡辺曜は高飛び込みを特技とし、とりあえず動くタイプ、というイメージ。
最後に登場する桜内梨子は千歌が最も憧れなりたいと願うスクールアイドルが誕生した音ノ木坂学院から来た転校生。
そして幼少の頃よりピアノに打ち込んできたことを話します。

こうして順を追ってみると千歌の目線を通して彼女たちの個性を魅せており
同時に、千歌にはまだ何もない、ごくありふれた普通の少女であることも表現しています。
千歌自身も梨子にこれまで夢はなく普通であったことを語りかけています。
しかし何もないからこそ千歌にとってスクールアイドルという存在は
特別だという説得力が生まれています。


スクールアイドルは普通の少女達が、本物のアイドルではない自分と同じような存在が一生懸命練習をして心をかよわせることで
キラキラ輝ける存在になれるんだと。

まだ何も持たない高海千歌だからこそ、スクールアイドルへの憧れが一番強く投影され衝動に突き動かされ皆を巻き込んでいく。
やがては、μ'sが目指した場所へμ'sの後追いとしてではなくAqoursとしてたどり着く。
そんな物語を理屈ではなく気持ちで想起できてしまう推進力が千歌にはあると感じられます。


なぜ何の根拠もないのにそう信じられてしまうかは
後述する太陽の演出とこれまで述べてきた過程を経た上で千歌が放つメッセージ性の強さもありますが
ラブライブ!だからなんですよね。
ラブライブ!を見てきた人であれば知っているのです。
μ'sの9人が懸命に練習をしてきたことを。
彼女達が努力をしていたことを。
それでも1人の力で乗り越えられなかった問題を
μ'sという関係の中でお互いを補助しあって乗り越えてきたことを見てきました。
皆で選んできたから辿りつけた場所があることを分かっています。


おそらく千歌は直接μ'sに出会っておらず、本来そんな憧憬を告白されても
「何を世迷い言を」と呟いてしまうかもしれません。
しかし、ラブライブ!を視聴してきた人にとっては過去に本当にあった出来事として心に残っています。
この理屈をはねのける力強さこそラブライブ!であり、そこにこそ心動かされるものがあるんだと思うわけです。
μ'sが夢を叶えたからできる表現をしてきたこの瞬間に
ラブライブ!サンシャイン!!がシリーズの名を冠するに相応しい作品として動き出したと確信しました。

ラブライブ!ラブライブ!サンシャイン!!における太陽とは何か

夕陽を前にしてスクールアイドルの素晴らしさを説き、私も輝きたい!と宣誓する千歌のシーンを見ていて思い出したことがあります。

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これまでのラブライブ!シリーズにおいて、そしてサンシャイン!!でも太陽はかなり象徴的な使われ方をしています。
激しく燃え上がり全てを照らす朝日であったり、いつでもどこにいても頭上で輝いている存在であったり、
いかにも消え入りそうなか細い灯火として、同じ太陽であってもポジティブに時にはネガティブなものとして扱われています。


今までの描写のされ方から太陽とは夢の象徴であり、可能性の集合体であると私は受け取っています。
ここでは印象に残っている太陽の使われ方について触れていきます。

 

μ'sが結成され初めて合宿を行った回です。


このお話では1年生、2年生、3年生といった学年の間に生ずるわだかまりや、仲の良いグループ以外で発生していた不自然さを解消し
最初の目標であるラブライブで優勝することをμ'sとして朝日に誓いました。
本当のスタートは3話だと思っていますが、9人としては初のスタートとも言える回で、ここから改めて9人の夢を再確認したと、
そう解釈しても良いと思います。

 

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3年生が卒業することで、μ'sを存続するか解散するか決断を迫られ、全員が解散することを決めた回です。


言わずもがな9人にとってμ'sがどういう存在だったかと向き合い、みんなの気持ちをないがしろにせず
いまできることを描いています。「私達は今ここにしか居ない」という意志を貫き通したわけです。
自分たちで夢を叶えたことを中途半端にさせたくなかった、9人だったから可能だったことを示しています。
だからこそ終わらせる。μ'sという夢を自ら終わらせたい、その気持ちが沈みゆく夕陽から感じとれます。
この情景こそ千歌が皆でたどり着きたい場所の1つであり、スクールアイドルとしての姿と言っても良いでしょう。

 

幼少の穂乃果が水たまりを飛び越すことができないと、ことりに言われても決して諦めなかったシーンと、
海外で出会った女性シンガーに「いつだって飛べるよ、あの頃のように」と促され飛んだシーンです。


子供にとって世界は自分であり自分こそ全てである、といった考えを私は持っていますが
幼少において可能性は無限大にあるという祝福に気づくことができない、だからこそ子供なんだと感じるシーンです。
太陽という可能性の象徴に背中を押されていても自覚できない、そして子供でいられる時間もそう長くはないことを
夕陽を使うことで効果的に表現しています。
それでも、たとえ幼少の夢が終わりを迎えても、想いがあれば再び時間を越えて飛ぶことができる。
これが、劇場版で描かれた穂乃果の決断であって、受け継がれていくスクールアイドルの姿に繋がっていきます。

 

学校を越えて集ったスクールアイドル達の前で
「どんな夢だって叶えられる。伝えようスクールアイドルとしての素晴らしさを」と穂乃果が言ったシーン。


μ'sは解散するけれど、想いをともにした仲間として各地のスクールアイドルと一緒に歌います。
スクールアイドルとしての意志を繋ぐことで、学校を秋葉原を、空間を飛び越えて輝きが広がっていく。
SUNNY DAY SONG」という太陽によって、μ'sは解散してもスクールアイドルとしての想いが受け継がれていったことは
後の雪穂と亜里沙を見れば分かります。
μ's解散によって1度は沈んだ太陽が再び夢見るもの全てを照らす存在として形を変えて浮上してくるわけです。
ついには、絶対に届かない場所なんてないことを紅白、東京ドームライブと現実でも思い知らされていきます。


このように使われてきた太陽が、サンシャイン!!OPや「君のこころは輝いてるかい?」のPVでも意識的に描写されています。

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OPで主要メンバー全員が揃ったカットであったり、

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PV終盤でステージに示された太陽を中心に集まっていたりと、
Aquorsも輝きのバトンを受け取った存在であることを実感させてくれます。


さて、このようにして始まったラブライブ!サンシャイン!!でAqoursがμ'sとは違う物語をどのように魅せていくのか。
引き続き期待していきたいです。